2012.1.14土曜日、横浜で「第4の革命」という映画の自主上映会を見ました。
週末はできるだけ東北に行ってボランティア活動に従事したいと思っているのに所用で出かけられず、他のボランティア仲間が各地に出かけている報告を見ると焦りもし多少の後ろめたさも感じながらの参加でした。(・_・;
横浜にある水産加工業の横浜淡水という会社の瀧澤さんという方が主催して行われたこの会は、冒頭に河野太郎衆議院議員の明確な反原発へのメッセージから始まりました。へえ!自民党議員の河野さんってこういう方だったんだ、と少しびっくり。
続いてサプライズとして、この映画の監督ご自身も挨拶にたち、再生可能エネルギーへの転換は可能で、あなた方一人一人が革命家になれるのです!と熱いメッセージ。1953年生まれ、私と同年齢だ。
監督 カール -A・フェヒナー (Carl-A. Fechner)
映画の内容は、再生可能エネルギーへの転換の困難さや原発の優位性の主張に対して、反証する形でドイツ、マリ、スペイン、バングラデシュなどでの取り組みをドイツの政治家、ヘルマン・シェーア氏の活動を軸に紹介していくもの。
映画は2010年にリリースされ、同年ドイツ国内で評判になっているらしい。取り扱われる数字や状況は現在は既に変わっているし、やや説得力にかけるなど批判はいくらでも出来るだろうけど、再生可能エネルギーへの転換が既に大きく動きだしている事を伝えていました。
とは言え白状すると私は前日の寝不足で少し集中力に欠けてたんです。もう眠くて (・_・; チャント見られたかどうか・・・
私自身は映画の内容もさることながら、河野太郎氏の挨拶や上映後、観客からいくつかの感想を聞き、感銘を受けたのでした。
実際に風力発電にかかわっている企業の方から、国内における風力発電が1900基を超えているが発電全体に占める割合は1%にも満たない。対してドイツでは6%以上。今後洋上での建設も増え更にウエイトが高くなる、という話があったかと思うと、景観ばかりか建設時にだされる排土による漁業への被害などを報告される方も。
その中で、大分の作家、松下竜一氏の「暗闇の思想を」を紹介された方がいて、私はハッとした…んですね。
70年代のはじめ、作家であると同時に豊前火力発電所の建設に反対し裁判を通して環境権の概念を強く主張した行動する作家。確か高校生か大学に入った頃に彼の文章に触れた事を久しぶりに思い出しました。
そういえば、自分自身も大阪府南部の和歌山との県境に近い多奈川町に建設予定だった関電の多奈川第二火力発電所建設反対のデモに参加してたんだよな。
何だか懐かしいな〜。あ、いや懐かしがっている場合ではない。これは代替エネルギーの議論の前にそもそも自分たちの生活基盤そのものを見直すという思想だったのでは?
もう一度彼の著作を読んでみようかな。
東北のボランティアには行けなかったけれど、思い出したり気がついたり、色々いい週末になりました。
以下、ご参考
松下竜一「暗闇の思想を」木村元彦氏ブログ
いつも週末に乗せてもらっているボランティアバスレーベン号が年内は修理のためお休み。今回は一人でいわきに行ってまいりました。8月以来だから4ヶ月ぶりです。
金曜夜、勤め先を退社する時にはまだ迷っていた。一人で何処かにお手伝いに行こうかどうしようか。
忙しい同僚達には申し訳ないけれど、とりあえず早めに退社。
じゃ、お先に!
おつかれさま。今週は(ボランティア)お休みですよね?
うん、どうしようかな~。もしかして一人で行くかも・・・・・
ええ?! これからですか?マジ???
同僚達の視線を浴びながら帰途に着く。(・_・; どうしょうかなあ・・
自宅でなにげなくテレビをつけたら、浪江町から都内に避難している女性のお話。これでほぼ決まり。いつも誰かが背中を押してくれる。
慌ただしく用意して出発!忘れものはないかな?
今夜は水戸の駅前にあるネカフェでお泊り

よっぽど早く出かけないといわきまでその日には着かない。途中だけど水戸で降りて駅前のネカフェで寝る事にした。フラットな床なので寝られない訳ではないが狭くて落ち着かない。1500円だから文句は言えないけれど。隣でキーボード激しく連打する音が響く。誰かとチャットしているのか、時折かみころした笑い声。こちらも負けずにTwitterとFacebookでボランティア仲間と応酬。やれやれ。
翌朝6時起床し6:30の電車に乗車。8:10いわき駅到着

雪こそ降っていないけれど、流石に寒い。冷蔵庫の中を散歩しているみたい。
駅前の通り。

確かこの通りをお祭りの行列が行進していた。今年はなかっただろうな。
小学生の息子を連れ、冒険旅行と称して行き先を決めずに家を出て、辿り着いたのが、この街だった。アンモナイトセンターで化石堀。楽しかったな。あそこはどうなっているのだろう?
いわき復興支援ボランティアセンター マッチング風景

当日のニーズは3件。集まる人数も多くはない。普段、陸前高田のボラセンで、今日は少なくて600人、とか言ってるのに比べると本当に少ない。元々被災した規模が違うし、復興のスピードも違う。5月に初めてきた時はボランティアも週末は1000人位はいたはずだが、今は30人程度。スタッフとは顔なじみなのだろうか、大きな声で冗談を言う人がいる。和やかだけれど、こちらはちょっとよそ者という気分になる。
マッチングはニーズの紹介に手をあげる方式。1番目は江名(えな)の個人宅のゴミの分別と処理。10名との事でこれに参加
いわき市江名の個人宅(写真は撮らなかった。)
ボランティア自体初めという人が4名程。2回目が1人。リーダーは北茨城に住む方で毎週来られているようだ。
家の外観は綺麗だけれど全壊の指定を受けて取り壊す予定とか。70代位のご夫婦がお住まいだったが今は8畳ひとまの借り上げ住宅に住んでいるという。娘さんがお手伝いにみえていた。
何人かは家の中に入って不用品をゴミ袋につめるのと、家具などの搬出。中に入るとかなり床が傾いているのが分かる。台所に入って手早く作業。食器などを次々と袋に詰める。大事そうな物は家主さんに確認をする。
多分普段使っていた箸や茶碗もある。床下からたくさんの大きな広口の瓶。梅干しや果実酒。持ったいないけど流しに捨てる。ごめんなさい。
心配そうにそばで見守るおばあちゃんに時々、これは?と無言で視線を投げると、寂しそうに首を振る。ベテランのボランティアは終始家主さんに明るく話しかける。思い出の詰まったこの場所を失おうとしている人への思いやり。自分もできるだけそうする。でもどちらかというとこれは自分のため。気持ちを明るくしたいから。
休憩時間におじいちゃんに話しかけた。
「外観はきれいなのにねえ。」
「去年直したばかりなんだよ。270万円かかったよ。」
おじいちゃんは、やれやれという顔をして首を横に振る。私は黙り込む。
予想より早く終了。リーダーが依頼者に挨拶。
「じゃあ、がんばって・・なんて言わないから。笑。ゆっくりいきましょう。何度でも来ますからね。」
個人的に参加したボランティアでの経験だけど、最後にリーダーが残す言葉は色々。あまり好きでないのは、大きな声で、
「これで完了という事でよろしいですかあ?! ありがとうざいましたあ!!」
これでは依頼者はダメとは言えないだろう。今日のリーダーは好感が持てた。そうだ、何度でも来るよ。元気になるまで何度でも。
車が出発するまでずいぶん長い時間、表でずっと立ってくれていたおばあちゃん。腰を曲げ頭を深々と下げてお礼をしてくれた。
ありがとう。こちらこそ!
少し時間があるので、初めていわきを訪れる人もおり、沿岸部を車で走ってみることになった。
沿岸部の津波被災地域。瓦礫は撤去されている。

まだ玄関のタイルが新しい

土台だけになった御宅に伺った時、私はいつも玄関に立ってみる。門扉を押し開け、玄関のドアを開けると、家人の靴が並んでいる。すぐ奥にリビング。横に洗面台とお風呂がある。台所は・・・想像が膨らむと胸が詰まる。見上げると綺麗な青空。寒い寒い。本当に寒い。
豊間中学校横の瓦礫置き場

海岸近くの道路沿いにも瓦礫

四倉よつくら周辺


大部分は更地になっているが、残っている家にペインティングがしてある
ガレバナと呼ばれている。瓦礫の花の意味? 取り壊しが決まった建物にボランティアが描くらしい。これ以外にも国道沿いにいくつも見かけた。
土台に焼け焦げのあとが見える。 ここも火事があったのだ。

6号線をそのまま北上。東電 福島第一原発より20kmの通行止め地点

この先は関係者以外は入れない。今日は岡山県警が警備。反対側の南相馬でも何処かの県警が警備していて、近くの7/11でトイレを借りたり食料を買っていたなあ。この行き止り地点のすぐ先は楢葉町で、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、南相馬はその向こうだ。
Jヴィレッジ

日本サッカー協会の施設。ナショナルチームや国内の色々なチームが合宿を行っていた。株主には東電副社長、福島県知事も並ぶ。3.11当日も宿泊客がいたが、水、電気、トイレが使えなかった。そんな状態でその後自衛隊、警察、消防、東電関係者の前線基地となった。今も多くの車両が並んでいる。
塩屋埼灯台近くの美空ひばりさんの碑。「みだれ髪」という歌の舞台らしい。

「喜びも悲しみも幾歳月」の碑 有名な灯台守の映画の舞台だ

塩屋崎灯台へ登る道は今も通行出来ない。しかし灯台下の駐車場近くの売店はつい最近再開された。
国道から入る道が通れるようになり、やっと再開した。しかし客足はまばらだ。
「お店は無事だったけど家はやられたので避難してるの。通うのが大変なのよ」とお店の人が話してくれた。
ボランティアの作業を終えた後は地元の産品をお土産に買うのが楽しみだ。少しでも地元に貢献出来る事が嬉しい。今回はわかめスープとしじみ汁。勤め先へのお土産はめひかりクッキー。

今回は迷いに迷った末に来てしまったが、やはり来て良かったな。いわきは自分が今回の震災ボランティアを始めるきっかけになった場所だ。普段行っている陸前高田や南三陸町など三陸沿岸に比べると災害の規模は小さい。しかし被災した地域の面積や戸数、亡くなった人の数で比較するのはナンセンスだ。悲しい体験をしたその人、一人ひとりの気持ちを考えると数字は虚しい。今回自分に出来たことはホントに小さな事だけれど、何もやらないよりはずっといい。少しは寄り添えた、かも知れない。いやどうかな?
小さな達成感をいだいて帰途に着いた。でもまだまだやり残した事がたくさんある。ありすぎる。
また来るからね。何度でも。
再びいわき駅 東京方面行きと久ノ浜行きの電車

しじみ汁とわかめで炊き込みご飯を作った。

おしまい
金曜夜、勤め先を退社する時にはまだ迷っていた。一人で何処かにお手伝いに行こうかどうしようか。
忙しい同僚達には申し訳ないけれど、とりあえず早めに退社。
じゃ、お先に!
おつかれさま。今週は(ボランティア)お休みですよね?
うん、どうしようかな~。もしかして一人で行くかも・・・・・
ええ?! これからですか?マジ???
同僚達の視線を浴びながら帰途に着く。(・_・; どうしょうかなあ・・
自宅でなにげなくテレビをつけたら、浪江町から都内に避難している女性のお話。これでほぼ決まり。いつも誰かが背中を押してくれる。
慌ただしく用意して出発!忘れものはないかな?
今夜は水戸の駅前にあるネカフェでお泊り

よっぽど早く出かけないといわきまでその日には着かない。途中だけど水戸で降りて駅前のネカフェで寝る事にした。フラットな床なので寝られない訳ではないが狭くて落ち着かない。1500円だから文句は言えないけれど。隣でキーボード激しく連打する音が響く。誰かとチャットしているのか、時折かみころした笑い声。こちらも負けずにTwitterとFacebookでボランティア仲間と応酬。やれやれ。
翌朝6時起床し6:30の電車に乗車。8:10いわき駅到着

雪こそ降っていないけれど、流石に寒い。冷蔵庫の中を散歩しているみたい。
駅前の通り。

確かこの通りをお祭りの行列が行進していた。今年はなかっただろうな。
小学生の息子を連れ、冒険旅行と称して行き先を決めずに家を出て、辿り着いたのが、この街だった。アンモナイトセンターで化石堀。楽しかったな。あそこはどうなっているのだろう?
いわき復興支援ボランティアセンター マッチング風景

当日のニーズは3件。集まる人数も多くはない。普段、陸前高田のボラセンで、今日は少なくて600人、とか言ってるのに比べると本当に少ない。元々被災した規模が違うし、復興のスピードも違う。5月に初めてきた時はボランティアも週末は1000人位はいたはずだが、今は30人程度。スタッフとは顔なじみなのだろうか、大きな声で冗談を言う人がいる。和やかだけれど、こちらはちょっとよそ者という気分になる。
マッチングはニーズの紹介に手をあげる方式。1番目は江名(えな)の個人宅のゴミの分別と処理。10名との事でこれに参加
いわき市江名の個人宅(写真は撮らなかった。)
ボランティア自体初めという人が4名程。2回目が1人。リーダーは北茨城に住む方で毎週来られているようだ。
家の外観は綺麗だけれど全壊の指定を受けて取り壊す予定とか。70代位のご夫婦がお住まいだったが今は8畳ひとまの借り上げ住宅に住んでいるという。娘さんがお手伝いにみえていた。
何人かは家の中に入って不用品をゴミ袋につめるのと、家具などの搬出。中に入るとかなり床が傾いているのが分かる。台所に入って手早く作業。食器などを次々と袋に詰める。大事そうな物は家主さんに確認をする。
多分普段使っていた箸や茶碗もある。床下からたくさんの大きな広口の瓶。梅干しや果実酒。持ったいないけど流しに捨てる。ごめんなさい。
心配そうにそばで見守るおばあちゃんに時々、これは?と無言で視線を投げると、寂しそうに首を振る。ベテランのボランティアは終始家主さんに明るく話しかける。思い出の詰まったこの場所を失おうとしている人への思いやり。自分もできるだけそうする。でもどちらかというとこれは自分のため。気持ちを明るくしたいから。
休憩時間におじいちゃんに話しかけた。
「外観はきれいなのにねえ。」
「去年直したばかりなんだよ。270万円かかったよ。」
おじいちゃんは、やれやれという顔をして首を横に振る。私は黙り込む。
予想より早く終了。リーダーが依頼者に挨拶。
「じゃあ、がんばって・・なんて言わないから。笑。ゆっくりいきましょう。何度でも来ますからね。」
個人的に参加したボランティアでの経験だけど、最後にリーダーが残す言葉は色々。あまり好きでないのは、大きな声で、
「これで完了という事でよろしいですかあ?! ありがとうざいましたあ!!」
これでは依頼者はダメとは言えないだろう。今日のリーダーは好感が持てた。そうだ、何度でも来るよ。元気になるまで何度でも。
車が出発するまでずいぶん長い時間、表でずっと立ってくれていたおばあちゃん。腰を曲げ頭を深々と下げてお礼をしてくれた。
ありがとう。こちらこそ!
少し時間があるので、初めていわきを訪れる人もおり、沿岸部を車で走ってみることになった。
沿岸部の津波被災地域。瓦礫は撤去されている。

まだ玄関のタイルが新しい

土台だけになった御宅に伺った時、私はいつも玄関に立ってみる。門扉を押し開け、玄関のドアを開けると、家人の靴が並んでいる。すぐ奥にリビング。横に洗面台とお風呂がある。台所は・・・想像が膨らむと胸が詰まる。見上げると綺麗な青空。寒い寒い。本当に寒い。
豊間中学校横の瓦礫置き場

海岸近くの道路沿いにも瓦礫

四倉よつくら周辺


大部分は更地になっているが、残っている家にペインティングがしてある
ガレバナと呼ばれている。瓦礫の花の意味? 取り壊しが決まった建物にボランティアが描くらしい。これ以外にも国道沿いにいくつも見かけた。
土台に焼け焦げのあとが見える。 ここも火事があったのだ。

6号線をそのまま北上。東電 福島第一原発より20kmの通行止め地点

この先は関係者以外は入れない。今日は岡山県警が警備。反対側の南相馬でも何処かの県警が警備していて、近くの7/11でトイレを借りたり食料を買っていたなあ。この行き止り地点のすぐ先は楢葉町で、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、南相馬はその向こうだ。
Jヴィレッジ

日本サッカー協会の施設。ナショナルチームや国内の色々なチームが合宿を行っていた。株主には東電副社長、福島県知事も並ぶ。3.11当日も宿泊客がいたが、水、電気、トイレが使えなかった。そんな状態でその後自衛隊、警察、消防、東電関係者の前線基地となった。今も多くの車両が並んでいる。
塩屋埼灯台近くの美空ひばりさんの碑。「みだれ髪」という歌の舞台らしい。

「喜びも悲しみも幾歳月」の碑 有名な灯台守の映画の舞台だ

塩屋崎灯台へ登る道は今も通行出来ない。しかし灯台下の駐車場近くの売店はつい最近再開された。
国道から入る道が通れるようになり、やっと再開した。しかし客足はまばらだ。
「お店は無事だったけど家はやられたので避難してるの。通うのが大変なのよ」とお店の人が話してくれた。
ボランティアの作業を終えた後は地元の産品をお土産に買うのが楽しみだ。少しでも地元に貢献出来る事が嬉しい。今回はわかめスープとしじみ汁。勤め先へのお土産はめひかりクッキー。

今回は迷いに迷った末に来てしまったが、やはり来て良かったな。いわきは自分が今回の震災ボランティアを始めるきっかけになった場所だ。普段行っている陸前高田や南三陸町など三陸沿岸に比べると災害の規模は小さい。しかし被災した地域の面積や戸数、亡くなった人の数で比較するのはナンセンスだ。悲しい体験をしたその人、一人ひとりの気持ちを考えると数字は虚しい。今回自分に出来たことはホントに小さな事だけれど、何もやらないよりはずっといい。少しは寄り添えた、かも知れない。いやどうかな?
小さな達成感をいだいて帰途に着いた。でもまだまだやり残した事がたくさんある。ありすぎる。
また来るからね。何度でも。
再びいわき駅 東京方面行きと久ノ浜行きの電車

しじみ汁とわかめで炊き込みご飯を作った。

おしまい
12月9日長野発のボラバス「手を貸すぜ!東北 信州号」で陸前高田市に出かけました。
【2011年12月9日(金)~11日(日)】
9日 午後9時 長野駅東口ロータリー出発
10日 8:30 岩手県 陸前高田ボランティアバスにセンター着
レーベン号と合流し、広田町六つ浦で側溝の泥上げ 合計約80名
作業後、気仙沼に移動 気仙沼プラザホテルで入浴後、お魚市場、
復興屋台村 気仙沼横丁などで夕食。
午後8:00出発。
11日 午前6:00 長野駅東口到着 解散

何故長野発のボランティアバスに千葉県在住の私がのったのかって?
ふうむ、(・_・;
それには、「手を貸すぜ!東北」のコピーで有名な先輩ボランティアバス、レーベン号との関わりから話さないといけませんね。
そして、これを企画したTさんの事をお話ししなければ。
私が週末を利用して東北にボランティアに出かける時、乗せていただいているバス、レーベン号はつくば・東京から発着するボランティアバスで、4月以来、毎週2台のバスを使って東北にボランティアを運んでいます。実はこれ、茨城県の会社を経営する社長さんが、個人で所有するバスを提供しているもので、観光バス会社のツアーではありません。
長野市在住のTさんという女性は、たった2回ですがレーベン号に参加し、その趣旨に感激。今回のバスを1人で立ち上げたもので、レーベン号のリピーターを中心とするサポーターズもこれに共感し支援する事になりました。
そこで、レーベン号のリピーターの一人である私ジローもバスに同乗し、彼女のお手伝いができればと思ったわけです。
ま、役にたつかどうかはともかくです。(・_・;

レーベン号のサポーターズには、それは色々な人が集まっていて、Twitterやmixi、ブログやメディアを使って拡散をしてくれました。また長野県社協をはじめ各種の団体にも協力していただいた結果、最終的には、「長野 ボランティアバス」だけで検索ページのトップに表示されていましたね!
また募集の特設サイト・申込フォームはレーベン号でもリーダーの一人として活躍されている、アークウエブの中野さんがチャチャっと作ってくれました。仕事はや!
この熱意に支えられ、当初は最低の催行人員18名をなんとか集められれば、と思っていたものが募集期間わずか2週間で満席の43名に達しました。わお! これは凄い事です。
震災当初は様々なボランティアバスが企画され沢山の人が東北に向かいました。しかし、9ヶ月が過ぎた今、ボランティアの数も減り、人々の被災地に対する関心も徐々に薄れてきたこの時期、低料金で参加できるバスは少なくなりましたね。
長野市からレーベン号のように、週末を利用して低料金で参加できるボランティアバスはないものかと探していたTさんは結局思うようなバスが見つからず、これはもう自分でやるしかないと思い至ったのですね。
これってスゴクない?!

こんなのがあればいいのにって、誰もが思う事です。でもそれがなければ、ため息をひとつついて諦めてしまうのが普通ですよね? でもTさんはそれを諦めるどころか、自分がやるしかないと本当にやってしまった!
元々社会貢献に関心が高かったTさんはこれまでも色々なボランティアに参加。震災後は、千葉県旭市に最初のボランティアに出かけ、その後、小学生の息子さんを連れて東北に出かけた後、レーベン号に2回参加されました。
しかしバスの運営はもちろん初めて。慣れないバス会社との連絡やたくさんの問い合わせへの対応。Facebookを使ったレーベン号サポーターズ有志との打合せ。子供さん、ご家族のお世話をしながら昼間は仕事もあり、これを一人でこなすのはさぞかし大変だったろうな~。
出発の当日、私は休暇をとって長野入り。夕食を取りながら打合せと思っていたけれど、釣り銭を用意するのに一緒にATMを何カ所も歩き回ったり、道中も次々起こる想定外のプチトラブル。トホホ。

でも嬉しいことも。参加した学生さんのグループが仮設住宅に住む人にと仲間に呼びかけて作ってくれたポケットティッシュ入れ。これを運ぶ役をかってくれた方が実はレーベン号とゆかりの深い友人だったと判明。世間はせまい、絆は繋がる!
また本来は別の場所で休息を取るきまりになっていたけれど、天候などの都合でバスの中で食事を取ることも想定しバスを現場に止めてくれるなど、色々な無理を快くうけいれてくれたバスの運転手さん。
本当に多くの人が今回の企画を支えてくれました。
作業はベテランの多いレーベン号メンバーとの共同作業。初心者の多い信州号のメンバー、最初はおっかなびっくりなところもありましたが、始まってみると、もう誰がどちらのメンバーなのか、そんな事は問題なく息を揃えて次々と、乾いた泥が詰まった側溝はみるみる綺麗になっていきました。側溝の蓋が開けられる度に、スコップを持った人が一斉に群がる様は壮観。兵隊アリみたいだなあ。
少しやり残したところは次の方に託し、各自小さいけれど確かな達成感を感じてくれました。
(私は体力も気力もなく、ヘロヘロ 。今回も反省。あーあ)

バスの中で参加者の感想をお聞きしたところ、地元で乗れるこんなバスが欲しかった、また乗りたい、との声もいただきました。
自分自身は大したお手伝いも出来ず、反省点も多々ありますが、今回の企画に少しでも関われる事が出来た事、誇りに思っています。
(・_・;

長野に帰着後、久々に善光寺参りをしたし、お蕎麦もおやきもいただきました。うま! 来て良かった!!

以上!下線文
【2011年12月9日(金)~11日(日)】
9日 午後9時 長野駅東口ロータリー出発
10日 8:30 岩手県 陸前高田ボランティアバスにセンター着
レーベン号と合流し、広田町六つ浦で側溝の泥上げ 合計約80名
作業後、気仙沼に移動 気仙沼プラザホテルで入浴後、お魚市場、
復興屋台村 気仙沼横丁などで夕食。
午後8:00出発。
11日 午前6:00 長野駅東口到着 解散

何故長野発のボランティアバスに千葉県在住の私がのったのかって?
ふうむ、(・_・;
それには、「手を貸すぜ!東北」のコピーで有名な先輩ボランティアバス、レーベン号との関わりから話さないといけませんね。
そして、これを企画したTさんの事をお話ししなければ。
私が週末を利用して東北にボランティアに出かける時、乗せていただいているバス、レーベン号はつくば・東京から発着するボランティアバスで、4月以来、毎週2台のバスを使って東北にボランティアを運んでいます。実はこれ、茨城県の会社を経営する社長さんが、個人で所有するバスを提供しているもので、観光バス会社のツアーではありません。
長野市在住のTさんという女性は、たった2回ですがレーベン号に参加し、その趣旨に感激。今回のバスを1人で立ち上げたもので、レーベン号のリピーターを中心とするサポーターズもこれに共感し支援する事になりました。
そこで、レーベン号のリピーターの一人である私ジローもバスに同乗し、彼女のお手伝いができればと思ったわけです。
ま、役にたつかどうかはともかくです。(・_・;

レーベン号のサポーターズには、それは色々な人が集まっていて、Twitterやmixi、ブログやメディアを使って拡散をしてくれました。また長野県社協をはじめ各種の団体にも協力していただいた結果、最終的には、「長野 ボランティアバス」だけで検索ページのトップに表示されていましたね!
また募集の特設サイト・申込フォームはレーベン号でもリーダーの一人として活躍されている、アークウエブの中野さんがチャチャっと作ってくれました。仕事はや!
この熱意に支えられ、当初は最低の催行人員18名をなんとか集められれば、と思っていたものが募集期間わずか2週間で満席の43名に達しました。わお! これは凄い事です。
震災当初は様々なボランティアバスが企画され沢山の人が東北に向かいました。しかし、9ヶ月が過ぎた今、ボランティアの数も減り、人々の被災地に対する関心も徐々に薄れてきたこの時期、低料金で参加できるバスは少なくなりましたね。
長野市からレーベン号のように、週末を利用して低料金で参加できるボランティアバスはないものかと探していたTさんは結局思うようなバスが見つからず、これはもう自分でやるしかないと思い至ったのですね。
これってスゴクない?!

こんなのがあればいいのにって、誰もが思う事です。でもそれがなければ、ため息をひとつついて諦めてしまうのが普通ですよね? でもTさんはそれを諦めるどころか、自分がやるしかないと本当にやってしまった!
元々社会貢献に関心が高かったTさんはこれまでも色々なボランティアに参加。震災後は、千葉県旭市に最初のボランティアに出かけ、その後、小学生の息子さんを連れて東北に出かけた後、レーベン号に2回参加されました。
しかしバスの運営はもちろん初めて。慣れないバス会社との連絡やたくさんの問い合わせへの対応。Facebookを使ったレーベン号サポーターズ有志との打合せ。子供さん、ご家族のお世話をしながら昼間は仕事もあり、これを一人でこなすのはさぞかし大変だったろうな~。
出発の当日、私は休暇をとって長野入り。夕食を取りながら打合せと思っていたけれど、釣り銭を用意するのに一緒にATMを何カ所も歩き回ったり、道中も次々起こる想定外のプチトラブル。トホホ。

でも嬉しいことも。参加した学生さんのグループが仮設住宅に住む人にと仲間に呼びかけて作ってくれたポケットティッシュ入れ。これを運ぶ役をかってくれた方が実はレーベン号とゆかりの深い友人だったと判明。世間はせまい、絆は繋がる!
また本来は別の場所で休息を取るきまりになっていたけれど、天候などの都合でバスの中で食事を取ることも想定しバスを現場に止めてくれるなど、色々な無理を快くうけいれてくれたバスの運転手さん。
本当に多くの人が今回の企画を支えてくれました。
作業はベテランの多いレーベン号メンバーとの共同作業。初心者の多い信州号のメンバー、最初はおっかなびっくりなところもありましたが、始まってみると、もう誰がどちらのメンバーなのか、そんな事は問題なく息を揃えて次々と、乾いた泥が詰まった側溝はみるみる綺麗になっていきました。側溝の蓋が開けられる度に、スコップを持った人が一斉に群がる様は壮観。兵隊アリみたいだなあ。
少しやり残したところは次の方に託し、各自小さいけれど確かな達成感を感じてくれました。
(私は体力も気力もなく、ヘロヘロ 。今回も反省。あーあ)

バスの中で参加者の感想をお聞きしたところ、地元で乗れるこんなバスが欲しかった、また乗りたい、との声もいただきました。
自分自身は大したお手伝いも出来ず、反省点も多々ありますが、今回の企画に少しでも関われる事が出来た事、誇りに思っています。
(・_・;

長野に帰着後、久々に善光寺参りをしたし、お蕎麦もおやきもいただきました。うま! 来て良かった!!

以上!下線文
58歳となり人生はとっくに折り返し点を通過。
スタート地点を振り返るより、もうゴールの方がずっと近くなっちゃった。
朝起きて、体のどこかが痛くない日はないし、心もけっこう傷ついちゃってるし(T_T)(笑) 悲しいことに体力も日に日に衰えていくばかりです。
これを「ゆっくりと死んでいく時間」と呼ぶ人もいますね・・・。 え、焦るかって?まあ少しはね。
でも、それほど悲観的にならなくても、まだまだ楽しむ時間はあるででしょう? 嵐のような劇的な変化は多分もう来ないだろうし、まあ来ない方がいいとは思うけど、喜んだり、涙ぐんだり、ドキドキしたり、まあ、そこそこ感動的な場面には出会えるんじゃない?
その日の出会い、その日の気づき、その日のよろこび、その日の悲しみ? そんなこんなを、ちょっとした日記というかメモ代わりにここに書いていく事にしました。

just little notes from my life.
スタート地点を振り返るより、もうゴールの方がずっと近くなっちゃった。
朝起きて、体のどこかが痛くない日はないし、心もけっこう傷ついちゃってるし(T_T)(笑) 悲しいことに体力も日に日に衰えていくばかりです。
これを「ゆっくりと死んでいく時間」と呼ぶ人もいますね・・・。 え、焦るかって?まあ少しはね。
でも、それほど悲観的にならなくても、まだまだ楽しむ時間はあるででしょう? 嵐のような劇的な変化は多分もう来ないだろうし、まあ来ない方がいいとは思うけど、喜んだり、涙ぐんだり、ドキドキしたり、まあ、そこそこ感動的な場面には出会えるんじゃない?
その日の出会い、その日の気づき、その日のよろこび、その日の悲しみ? そんなこんなを、ちょっとした日記というかメモ代わりにここに書いていく事にしました。

just little notes from my life.




